1月21日は私にとって忘れる事の出来ない日になってしまいました。
二年前の1月21日、私は街中で突然倒れ、気が付いた時には病院のベッドの上でした。
病名、急性心筋梗塞と心不全。
倒れた時は心肺停止状態で60分以上続いたそうです。
正しく突然死のパターンです。
4日間ほど眠っていたそうですが、これは意識不明というよりは治療のため麻酔で眠らされていたようです。
それだけデリケートな治療が続いていたのだと思います。
倒れたことも、その日の行動もまったく覚えていませんでした。
後から聞かされて、言われてみるとそんな記憶が・・・という程度です。
命が繋がったのも奇跡なら、あれだけの時間心肺停止だったのにも関わらず、まったく後遺症もなくこうして生活ができているのも奇跡です。
お医者様からは「運が良かった」と何度も言われました。
私のようなケースは、病院に運ばれて来ても手の施しようがないケースも多いそうです。
私の場合は人通りの多い街中で倒れたことが幸いし、倒れた私に心臓マッサージをしてくれた方がいてくれて、さらに上手く救急救命士に繋がり、大学病院では医療従事者の皆さんの賢明な治療のおかげで今日こうして生きています。
関わってくれた多くの人に心から感謝申し上げます。
また私が倒れた時にその場にいた皆さん、さぞかし驚いたことでしょう。驚かせてしまって本当にごめんなさい🙇。
やはり人は一人では生きていけないのですね。
多くの人に支えられて生きているのです。
まさしく「人」という文字のとおりです。
さて、まさかこのような病気になるとは夢にも思っていませんでしたが、倒れる3~4カ月前の出来事です。
いつものようにかかりつけ医の先生(この先生、神様の姿が見えたり、メッセージが聞こえたりします)の診察室に入った瞬間、先生が「神様が、心臓、心臓と言っているから心電図の検査」と言われたのです。
その時の検査では異常が無かったのですが、先生から念のためとニトロールという薬を持っているように言われました。
人間ドックでもそのような病気の気配はなかったこともあり、気に留める事もなくその後の生活を送っていました。
それが、あんな摩訶不思議な体験をすることになるとは・・・。
今思えば不思議な出来事がありました。
倒れる10日前に車のバッテリーが上がり、運転ができなくなったのです。
翌日、充電したバッテリーと交換しておき、8日後に車を運転しようとしたら、またバッテリーが上がってしまっていたのです。
きっとあれは神様から運転を止められたのだと思います。
万が一運転中に発作が起きたらと思うと・・・背筋が凍ります。
また倒れた当日は、あの日に限って何人も知り合いと偶然出会い、倒れる直前にもお世話になっている方と偶然出会い、カフェでお茶を飲んだそうです。
まるで倒れる場所を探してでもいるかのような行動です。
私は仙台では一人暮らしなので家族がいません。
私の家族探しの為に、様々な方に連絡がいき、その流れのなかでかかりつけ医の先生にも繋がりました。
先生は連絡が入った瞬間は「助からない」と思ったそうです。
それでも私のインナーチャイルドに聞いてみたら「助ける」と言ったので、ならば早く意識が戻るようにと私にエネルギーを送ってくれていたそうです。
意識がもどってから、こんな経験をしました。
どちらも似たような状況だったのですが、ウトウトしていた時です。
果たして夢なのか、本当に見えたのかは定かではありません。
一つ目は左右の手にそれぞれ長方形型の箱を持っていて、神様のような方から何故このような事が起きたのか聞かされたのです。
その時は、話に納得して「そうか、だからこうなったのか」と思ったのですが、その後寝てしまい、目が覚めた時には、話の内容は覚えていませんでした。
もう一つは、眠りから覚めたばかりでまだウトウトしていた時だと思います。
突然、今まで経験したことがない、とても心地よいと感じる黄金の光に包まれました。
「なんて気持ちの良い光なんだろう」とその心地よさを感じながら目を閉じ、次に目を開けた時にはその光は消えてしまっていました。
一般病棟に移ってからは、先生も驚くほどの快復力だったそうで、その後一週間ほどで退院許可がでるほどです。
退院し、大学病院から預かった手紙をかかりつけ医の先生に渡した時です、先生から一言、
「いろいろと書いてあるけど、これは一度死んだという事だからね。よく戻ってきた。良かった。良かった。」と心の底から喜んでいただいたのです。
多分、私が助かる確率は数%もなかったのだと思います。
この摩訶不思議な経験はなんだったのか・・・。
お世話になっているある方からこんなことを言われました。
「生死を彷徨う経験はしたくてもできない。何らかのお役目があって命を繋いでもらった。そのお役目はいずれわかる。」と。
かかりつけ医の先生からも「まだお役目があるから命をいただいた」と。
では私のお役目は何?。
以前、とても霊感の強い人に言われた事があります。
私は前世のどこかで神主さんをしていたそうで、今世でも神様と人々を繋ぐのがお役目ですよと。
別な方からは、「本物を伝えるのがお役目の一つ」と。
本物とは神仏のようです。
確かに、「神仏やご先祖様を敬い大切にしていると守ってもらえるよ」とは機会を捉えては伝えています。(事実、今回私は、神仏、ご先祖様からも守っていただきました。)
また「いずれ多くの人の相談にも乗ることになる」とも言われた事もあります。
言われてみれば、これまでも相談を受ける事は多々ありました。
仕事として人生相談はやっていませんが、「思考、言葉、行動を変えていくことで現実は変わりますよ」ということは仕事としてアドバイスさせていただいています。
ブログを始めたのも、誰か一人でもこのブログを読んで何らかの役に立ってくれたらありがたいとの思いからです。
もしかしたら、少しでも誰かの力になれる事が、私のお役目なのかもしれませんね。
でも人が誰かの為に力になると思う事そのものが、おこがましいことなんだと思います。
二年前の摩訶不思議な経験は、
「人は生かされている」ということを身をもって教えていただきました。
借り物のこの身体も大切に扱い、いずれ神様にお返ししなければなりません。
そして、お役目などと深く考えず、元の世界に帰る日まで、毎日を大切に生きて行くことが一番のお役目なんだと思います。
「振子の法則」というものがあります。
今、辛くても必ず良くなる、人生はその繰り返し。
陰と陽があって一つです。
中庸の法則というのがあって、
バランスよく生きると運も幸せも増幅する。
真の幸せはバランスの上に成り立つ。
どちらかに偏るのではなく、バランスよく生きるのが一番の幸せなのかもしれません。
最後は話がちょっとそれてしまいましたが、ご参考になれば幸いです。