誰かの役に立ちたいと思っても自分が整っていないと何もできません。
自分の食い扶持を削ってまで、他人を助ける事を「たわけ(田分け)」と言います。
文字通り、自分の田も分けてしまうということです。
まず自分を整える。
それは、「経済的自由」「身体的自由」「精神的自由」を手にすることです。
この3つを手にした人は、他の人にも同じものを与える事ができます。
自由を手にするためには「まず自分を救いましょう」ということです。
お金があって、健やかで、精神的にも余裕があってこそ、誰かのお手伝いができるのです。
そして、十分に持っているものを与える。
そこで、空海密教阿闍梨・密教風水カウンセラーの種市勝覺さんの本から一説を紹介します。
時間のある人は、時間を与えよ。
お金のある人は、お金を与えよ。
体力に自信のある人は、その労力を与えよ。
心に余裕がある人は、氣遣いや言葉を与えよ。
知恵のある人は、専門知識やアイデアを与えよ。
顔の広い人は、人を紹介せよ。
(同氏著 「身口意の法則」より)
密教には、「自他法界同利益」という言葉があります。
自分と他人の幸せを等しく願う。
自分と他人、その周囲全体がWinWinの世界を目指すことです。
まさに今は、共存共栄の時代になってきているようです。
これまでの、物にこだわる時代から、心の豊かさを大事にする時代になりました。
今、縄文人の感性が見直されているのも、これからの時代に必要なことだからなのでしょう。
思い出しましょう。
私たちの心の奥に眠っている、縄文人の感性を!!。