現代の私たちは、西洋的な思想に慣れてしまい、「神」と聞くと、全知全能であり、奇跡を起こす超自然的な存在と思いがちです。
しかし、日本の神々は森羅万象に畏敬の念をいだき、自然と共存する生活の中から、感謝と祈り、そして先祖崇拝から生まれた存在です。
長い世代に亘って、私たちの社会を支え、知恵を伝えてきた存在です。
神様は、日本人のご先祖様なのです。
「ホツマツタヱ」 によりますと、
最初に出現された神はクニトコタチです。
この宇宙を創った神、すなわち、神様の中の神様は「天御祖神(アメノミオヤノカミ)」といいます。
古事記によりますと、
高天原に最初に現れた神は別神と呼ばれ、別神は5柱の神がいますが、その中の造化三神と呼ばれる神が、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神です。
そのあとに登場するのが神世七代で、その一番目が国常立神です。
ホツマツタヱに戻りますが、
天御祖神が創った最初の人類が「天之御中主神(アメノミナカヌシ)」です。(天御祖神の分け御魂が天之御中主神なのだと思います)
アメノミナカヌシは、地球上の各地に多くの子を残して、天に帰り天御祖神と一体となりました。
ですから、私たちの魂は、アメノミナカヌシの分け御魂なのです。
天御祖神=天之御中主神なので、宇宙を創ったのはアメノミナカヌシとも言えます。
最初に出現した神はクニトコタチですが、
その後、様々な神が現れ、国を造り、人々に機織りや稲作を教え、衣食住の環境を整えていきます。
そして神々は、何よりも民を大切にしました。
神は、いつも民が幸せに暮らせることを最優先していたのです。
日本は、「瑞穂の国」とも言われます。
古代から日本は稲作が中心で、人口の80%以上が農業に携わる農業の国でした。
神様は、私たちが生きていくために必要な知恵を、たくさん授けてくれたのです。
農耕の神、漁業の神、土地の神など、私たちが生きるために必要な事に神が存在し、その神々が役割を持ち、様々な働きを私たちに教えてきました。
それが八百万神と言われる所以です。
働くとは「傍を楽にする」ということです。
縄文時代は、短期的な利益より、自然の恵みを亨受しながらも、それを乱獲することなく、管理することの大切さを知っていて、その知恵を後世へと引き継ぐ意識を持っていました。
私が子供の頃、山菜取りなどに行くと、大人から「次の人の為、来年の為、全部取らないように」と教えてもらったものです。
縄文時代の教えは、今も引き継いでいるのです。
ホツマツタヱの終盤にはこのような事が書かれています。
人は神であり、神は人である。
神の名は、その人の業績を褒め讃えたものなのだ。
神は人として生まれ道を立てる。
人は、素直な心で、秀真(ホツマ)の教えのままに生きれば、
死後、真の神となるのである。
※ホツマツタヱでは、亡くなることを「神上がり」と言います。
そして、日本には「7世代先の未来を考える」という発想が根付いていました。(これも神々の教えです)
政は、遠い未来も視野に入れて行われていたのです。
現代はどうでしょう?。
資本主義は物質的欲求に支配され、母なる大地、この地球と共存することを忘れてしまったようです。
今が良ければ、自分さえ良ければそれでいい。
そんな世の中に感じます。
しかし今、時代は確実に変わってきています。
SNSなどの進歩によって、これまで見えなかった様々なことが見えるようになりました。
もちろん、情報を簡単に鵜呑みにはできません。
しかし、風の時代は大きなうねりを起こしそうです。
古代の神々が私たちに伝えてきたのが、
「正しい選択は、長期的な視野の元に行うべきである」という教訓です。
歴史の中には、短期的な利益を優先したことが大きな損失を招いた例も少なくありません。
今の政治家に聞いて欲しい言葉ですね。
誰のための国、誰のための政治・・・それは国民の為です。
一部の利益の為ではありません。
さあ、皆さん!
目を覚ましましょう! 気づきましょう!
本来、私たちが持っていた霊性、感性を!!。
自然を尊び、無理なく生活を営む先人の知恵は、現代においても、なお重要な示唆を与えてくれます。
自然との共生を重視した縄文時代の選択が、いかに理にかなったものであったかを示すものです。
日本文明の特徴は、「調和」と「共生」の精神を活かすことです。
日本文化の根底には、「調和」と「共生」の精神があり、競争より協調を重視し、共同体全体の繁栄を目指してきました。
これは、現代の個人主義的な社会とは異なる日本独自の社会モデルです。
縄文の神々は、単なる信仰の対象ではなく、縄文人の生き方そのものを象徴する存在だったのです。
余談ですが、縄文人の「心の豊かさ」を示唆することができます。
それが、装飾品や土器などです。
当時の人もおしゃれを楽しみ、芸術などを嗜んでいたのですね。
ところで、元々日本人には、神様にお願いをする習慣はなかったようです。
神様にお願いをするようになったのは、仏教が広まってからと言われています。
では、古代の人々は神様に何を祈っていたのか?。
それは「感謝」です。
そして「祈り」は「意宣り」でした。
つまり、自分の決心を使える場所、宣言をする場所でした。
「私は、○○まで、○○をするので、お力をお貸しください」という感じでしょうか。
ぜひ、お参りに行った時はまず「感謝」をしましょう。
そして自分の事は「意宣り」、誰かの為に「祈り」ですよ。
「感謝」の念は、神様のパワーアップになるそうです。
神様がさらにお力をつければ、私たちを守っていただける力が大きくなるということですね。
最後に、
アフリカのタンザニアにあるブンジュ村の村長の言葉です。
<愛され続けてきた記憶> それは、日本人のDNAの中に深く刻まれた記憶。
生きとして生ける自然や植物に声をかけながら、
愛し続けながら、愛でながら、
会話をしながら生きて来たから、
生きとし生ける全ての自然や存在から、
愛され続けている人たち、
それが、あなた達日本人なんだよ。
byペンキ画家SYOGENさんの紹介
人の役割は、誰かを祝福する役割なのです。