平安時代の文献を見ると平安時代の人たちは、現代の私たちより霊感が強かったことがわかるそうです。
現代に生きている私たちは、生活が便利になり、先人たちが想像できないほど、快適な生活を過ごしています。
そのことは同時に、本来持っていた能力を必要とする機会が少なくなり、五感などはだんだん衰えてしまっているのかもしれません。
私は、いろいろとアドバイスを受けている先生がいるのですが、4年ほど前に「五感を取り戻す」と言われた事があります。(五感:視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)
それからは、普段の生活の中で、これまでよりも感覚を意識して過ごすようにしてきました。
今は特に、視覚、嗅覚、触覚の感じ方が以前より強くなってきたように感じています。
まず視覚ですが、その人からでる「気」(エネルギー)の綺麗さ、室内の「気」の綺麗さが今まで以上に感じるようになっています。
特に綺麗な「気」が出ていると感じる人の共通点は、本人であったり、ご両親であったり、もしくは祖父母が熱心に神社、仏閣にお参りに行っている人がとても多かったです。
嗅覚は、突然、お香の匂いがしたり、花の香りがしたりと、そこにないものの匂いを感じるようになりました。もちろん、不快な匂いを感じる時もあります。(見えない世界からのメッセージ?)
触覚が一番変わったかもしれません。
たとえば、SNS等を使って発信している人のエネルギーですが、発信者によっては、手のひらや肩甲骨あたりが痺れたり、第6チャクラ、第7チャクラがビリビリしたり、鳥肌が立ったりすることがあり、この人は本当にエネルギーを送っていると感じる事ができるようになっています。(あくまでも、以前よりですが。)
これらを単なる錯覚や気のせいと思うのか、いやこれは五感が戻ってきたと思うかは人それぞれですが、錯覚や気のせいと思った瞬間に事は止まり、先には進みません。
どちらが楽しいですか?。
私は、なんか後者の方がわくわくして楽しいです。
そうすると、他の事の感じ方も変わってきます。
例えば、先日、夢で「応神天皇」という声を聴きました(姿はなく声だけです)。
これは八幡様にお参りに行かなければと思い、目が覚めたその日、八幡宮にお参りに行きました。
すると、まず鳥居の手前に黒猫が歩いていました。(神社で黒猫を見るのは吉兆と言います。)
さらに石段の上にある鳥居の上に太陽の光が当たり、まるでそこから光を放すように神々しく輝いていました。
本殿をお参りすると太鼓の音や祝詞が聞こえ、龍神様をお参りした後には突然、強めの風が吹いてきたりと「吉兆」と言われる現象が続きました。
これらは全て「よくお参りに来てくれたね」という神様からのメッセージだと思っています。
これまでの私だったら、すぐお参りに行くことはありませんでしたし、もしお参りに行ったとしても、これらの「吉兆」を感じることなくお参りをしていたと思います。
「五感を取り戻す」ということは、<五感が敏感になり、感性が豊かになる>という事です。
それは、日常生活の流れが良くなり、幸福感だったり、至福感が日常生活で増していく事にも繋がります。
全ての人は守られていると言います。それに<気が付くか、付かないか>の違いです。
ぜひ皆さんも、五感を意識してみてはいかがでしょうか。
これまでは気が付かなかった新たな感覚に気が付くかもしれませんよ。
きっとそれは、皆さんがこれまで気が付かなかった新しい世界へと導いてくれるはずです。
霊感の強い人たちは皆さん同じことを言います。
「私たちが特別なのではなく、本来すべての人が持っている能力です。だから皆さんも聞こえたり、見えたりしますよ。」と。
でも私はそうは思いません。
ある程度の能力は全ての人が持っているかもしれませんが、神様の声が聞こえたり、姿が見えたりする人は、神様にお役目を与えられて、その能力を授けられた人なのだと思っています。
だから選ばれし人たちは、その能力を<世のため、人の為>に使わなければならないのだと思います。