今私が、皆さんに何か言葉を贈ってくださいと言われたら、この言葉を贈ります。
「清濁併せ呑む」(せいだくあわせのむ)
「清濁併せ呑む」とは、
心が広く、善でも悪でも分け隔てなく、受け入れる度量の大きいことのたとえです。
蓮の花のように、泥の中でも、何を吸い込んでも綺麗に咲く花。
清い水、汚い水も飲む(経験する)。
人生は陰と陽があって一つです。
プラスとマイナスがあって一つです。
悲しいことがあるから、楽しさがわかる。
貧しい経験をするから、豊かさがわかる。
辛いことがあるから、幸せがわかる。
規則があるから、自由がわかる。
両方を体験・経験するから、思考・感情が豊かになる。
視野が広がる。
世界が広がる。
魂が成長する。
私たちは、心穏やかな毎日を願います。
でもそれは叶いません。
なぜなら、私たちには感情というものがあるからです。
だから全ての出来事を受け入れる。
ジャッジをしない・・・です。
特にネガティブな事が起こったら、その奥にあるメッセージを考えてみましょう。
なぜこの出来事が、今このタイミングで起こったのか・・・。
自分が思っている以上に、私たちは成長しています。
魂が磨かれています。
自分で気が付いていないだけ・・・。
何か、問題に突き当たったら、自分自身に問いかけてみてください。
掘り下げてみてください。
全ての答えは自分自身の中にあります。
良い出来事も長続きはしません。
悪い出来事も長続きしません。
でも、良い出来事を多く引き寄せることは可能です。
物事をどう捉えるかです。
そうそう、野菜や果物などを美味しく育てるためには何が大事かというと、それは「土壌」です。
見えていない世界は大事なのです。
「陰徳を積む」という言葉がありますが、人が見ていないところで、積む徳は尊いものです。
見えない世界を敬い大切にすることも、いずれ自分自身に返ってくることです。
そのためにも、感謝を忘れず、分かち合う事を忘れず。
自分と同じように、周りの人を大切にすることを忘れずに。
まさにこれですね。なんかすーっと腑に落ちました。ありがとうございます。
やっぱり何度も読み返すと毎回違う学びがあります。
私のブログが少しでもお役に立てているのなら、本当にありがたいことと感謝しています。このようにブログを書いてはいますが、私自身もこのブログに書いてあることをすべてできているわけではなく、ネガティブ感情に押しつぶされることもありますし、神仏はいないのかと思う事もあります。大事なのは物事をどう捉えるかではないでしょうか。同じ出来事でも人に寄って捉え方が違います。孔子の教えの中にある「中庸」のとおり、すべてありのままです。息子さんの選んだ道は間違いではありません。これから先の人生に必要な気づきを与えられているのだと思います。出来事は全てその人に必要な事だと思うだけで受け取り方がかわります。決してマイナスに捉えないで下さい。「正しい」は一つだけではなく、正しさは人の数だけ存在するのだと思います。価値観が違うだけですし、価値観が違うのは当たり前です。「この人と価値観が合う」という人がいますが、正確には価値観の一部が合うことだと思っています。価値観がすべて合う人は存在しません。少し話がそれてしまいました。今はいばらの道で思うように先が見えず、苦しいし、辛いと思いますが、全ては必要な事と思うだけで、捉え方が変わってきます。全ての人は幸せになるために生まれてきました。その幸せを掴むための経験です。ご自身の波動を下げないようにしてください。